ハワイ観測所は、すばる望遠鏡の補償光学で使われる新レーザーガイド星生成システムをアップグレードし、3月3日未明 (ハワイ時) に「初射出 (ファーストローンチ)」を達成しました。
大気揺らぎの克服
夜、星を見上げるとチカチカと瞬いて見えます。これは大気の屈折率の揺らぎ (大気揺らぎ) によって星の光が乱されているためです。地上の望遠鏡では、観測する星の像がこの大気揺らぎによって広がってしまうという問題があります。この影響から少しでも逃れるため、すばる望遠鏡は、空気が薄く大気が安定している標高 4200 メートルのマウナケア山頂域に建設されていますが、それでも星像が 0.5 秒 (1秒は1度の 3600 分の1) 程度まで大気揺らぎによって広がってしまいます。これは望遠鏡本来の結像性能よりも 10 倍程度大きな値です。
この大気揺らぎの影響を克服する技術が「補償光学」です。補償光学では、目的天体の近くの明るい星 (ガイド星) の光の波面を「波面センサー」で観測して大気揺らぎの影響を測定し、それを打ち消すように表面の形状を変えることのできる「可変形鏡」を制御します。そして、目的天体の光をこの可変形鏡で反射しながら観測することで大気揺らぎの影響を補正し、地上にいながらまるで宇宙望遠鏡のようなシャープな天体画像を得ることができます。
しかし、観測したい天体の近くに必ず明るい星があるわけではないため、補償光学で観測できる天体は限られてしまいます。この問題を解決するのが、レーザーによって人工的なガイド星 (レーザーガイド星) を作るレーザーガイド星生成システムです (図2)。地球大気の中間層 (高度 90 - 100 キロメートル付近) にはナトリウム原子の層が存在します。この層に波長 589 ナノメートルのレーザーを照射すると、レーザー光によって励起されたナトリウム原子が発光します。このナトリウム層の発光現象によって生成されたレーザーガイド星を用いることで、近くに明るい星が無い領域でも補償光学による観測を行うことができます (注1)。
最先端レーザーの導入による補償光学の高性能化
すばる望遠鏡では、2011年から4ワットの全固体レーザーを用いたレーザーガイド星生成システムが導入され、さまざまな科学成果を出してきました (注2)。しかし、年々の老朽化とともにレーザーガイド星の明るさが劣化していったため、2019年にその運用を停止し、アップグレードを行うプロジェクトを立ち上げました。レーザーガイド星の明るさは、レーザーの出力に強く依存します。開発チームは、ドイツにある Toptica Projects 社で開発された、レーザーガイド星専用の高輝度レーザーを用いて、レーザーガイド星生成システムのアップグレードを行いました。このレーザーは、ラマンファイバー増幅という技術を用いることで、従来のレーザーよりもコンパクトでありながら 22 ワットという高出力を実現しています。世界中の8メートル級望遠鏡がこのレーザーを用いており、建設中の 30 メートル級望遠鏡でも採用されるなど、レーザーガイド星生成システムにおける標準的なレーザーとなっています。
レーザーガイド星生成システムをアップグレードするにあたり、最大の課題となったのが高出力レーザーの伝送方法です。従来のシステムでは、レーザー室内で生成された4ワットのレーザー光を光ファイバーを通して望遠鏡の副鏡裏にあるレーザー送信望遠鏡へ送っていました。しかし、新しいレーザーは 22 ワットという高い出力のために光ファイバーを利用することができません。そこで、鏡の反射を利用する新たな伝送光学系を望遠鏡に搭載しました (図3)。この伝送光学系では、20 メートル程度の長い距離を、複数の鏡でレーザー光を何度も折り返して伝送するため、望遠鏡の姿勢変化で生じるたわみや、温度環境の変化により、上空に射出するレーザー光の方向がわずかに変わってしまいます。この問題を解決するため、伝送光学系内に、レーザー光路の変化を検出するセンサーを搭載し、光路中の鏡の傾きを微調整する事で、上空に射出するレーザー光の揺れを1秒角以下に安定させる仕組みが施されています。
この開発プロジェクトでは、観測所所員の力を結集して、設計、製作、搭載、試験の工程を進めていきました。コロナ禍の難しい状況の中での遅れもありましたが、粘り強く開発を進め、2022年3月3日未明にようやく新レーザーガイド星生成システムの初射出を迎えることができました。今後は実際の観測運用に向けた調整ののち、2022年後半から共同利用観測に供される予定です。また、東北大で開発中のレーザートモグラフィ補償光学用波面センサー「ULTIMATE-START」(注3) で用いるため、レーザービームを4つに分割して、上空に4つのレーザーガイド星を作る開発も進行中です。
アップグレードを主導した、ハワイ観測所の美濃和陽典准教授は、「レーザーのアップグレードに伴い望遠鏡の大幅な改修が必要になりましたが、1つ1つ手探りで、観測所スタッフと力を合わせて進める事ができました。レーザーガイド星による補償光学観測を強化して再開できたことを喜ぶとともに、これまでの観測所所員の不断の努力に感謝しています」と語っています。また、日本からレーザーガイド星による光波面測定を行う試験装置を持ち込み、観測に参加した東北大学院生の大金原さんは「今回、新しいレーザーシステムの完成を間近で見ることができて勉強になりました。明るいレーザーがすばる望遠鏡から夜空に射出される光景はとても印象的で、我々が開発中の波面センサーを用いたレーザートモグラフィ補償光学がより楽しみになりました」と初射出時の様子を語っています。
今回新たに導入した高出力レーザーは、ハワイ観測所が中心となって開発を進めている ULTIMATE-Subaru (注4) プロジェクトでも使用される予定です。このプロジェクトでは、レーザーガイド星生成システムをさらにアップグレードし、4つのレーザーガイド星の配置を拡げることで、補償光学で観測できる視野の大きさを格段に向上させることを目指しています。今回の高出力レーザーの導入は、新しい科学観測の機能を提供すると共に、より複雑なシステムの実現に向けた技術実証の場を提供し、さらなる大規模アップグレード計画に向けた第一歩となるものです。空に伸びて行った明るいレーザーの先には、すばる望遠鏡の明るい未来が待っています。
本開発プロジェクトは、「ULTIMATE-START」プロジェクトの一環として、日本学術振興会 科学研究費補助金・基盤研究 (S)「すばる望遠鏡トモグラフィー補償光学で明かす銀河骨格の確立過程」(課題番号:17H06129) の補助を受け行われました。
(注1) 2006年11月20日のハワイ観測所 観測成果を参照
(注2) 2011年7月6日のハワイ観測所 観測成果を参照
(注3) ULTIMATE-STARTでは、観測天体の周りに複数のレーザーガイド星を配置し、それらを用いて大気揺らぎを断層的に測定するレーザートモグラフィ補償光学を開発することで、可視光から近赤外線までの広い波長域に渡る高解像度観測を行います。
(注4) ULTIMATE-Subaruは広視野かつ高解像度の近赤外線観測を実現する、すばる望遠鏡の次世代装置開発プロジェクトです。このプロジェクトでは、広視野に渡って大気揺らぎを補正する地表層補償光学を開発します。