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追悼:高遠徳尚ハワイ観測所教授

2021年6月2日 (ハワイ現地時間)
最終更新日:2021年6月10日

追悼:高遠徳尚ハワイ観測所教授 図

高遠徳尚教授。(左) 2014年11月、モントリオールSPIE会場にて (クレジット:柳澤顕史)。 (右) 2015年12月、HSC受け入れ検査での高遠氏 (前列左) (クレジット:ハワイ観測所)

高遠徳尚ハワイ観測所教授が出張先の台湾で5月14日に逝去いたしました。その死を悼むとともに、ご家族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。

高遠氏は 1987年に東京大学大学院理学系研究科天文学専攻 (修士課程) に進学し、木曽観測所の 105 ㎝ シュミット望遠鏡に搭載する CCD カメラの開発を修士論文のテーマとし、液体窒素充填の不要なジュール・トムソン冷却方式を自らのアイデアで開発しました。博士論文では日本の天文業界初となる補償光学用の 37 素子可変形鏡の開発に取り組み、1993年に学位を取得しています。最初から研究テーマは自分で決め、開発方針も自分で考えて進めることができる人でした。1990年には、自ら開発した CCD カメラで高遠氏自身が見つけたライマンアルファ銀河候補の観測を、ラパルマ島の 4.2 m ウィリアム・ハーシェル望遠鏡で試みました。高遠氏主著の論文の中では、乱流のスペクトルがべき乗則からずれるスケールについて数値計算した論文が最も引用されています。

高遠氏は、大学院修了の前年より理化学研究所基礎特別研究員にもなっていましたが、翌年の 1994年からは国立天文台助手としてすばる望遠鏡の第一期補償光学系開発に専念し、2000年の観測開始に漕ぎつけました。これを用いて惑星形成円盤の発見などの成果を上げました。また、すばる望遠鏡の建設にも参画し、鏡面測定、追尾システムなどの周辺光学系の設計に大きな寄与をしました。2002年からはハワイ観測所に移り、第二世代の補償光学系の開発や、主鏡の傷検査システムの開発を行なったほか、主焦点ファイバー多天体分光器 FMOS (Fiber Multi-Object Spectrograph) の受け入れ責任者として、すばる望遠鏡の共同利用装置としての立ち上げを成功させました。また、持ち込み装置の受け入れ審査責任者としても活躍しました。安全と性能・効率を満たすレベルに新しい観測装置が達しているかの判断は、時には厳しいものがありましたが、高遠氏の行う説得力のある決断は、柔和な笑顔を絶やさない高遠氏ならではの人望もあいまって、皆が納得して受け入れました。2010年には南極に天文台を建設するのに必要なシーイング調査のため、自身の開発した装置を持参して第 52 次調査隊の一員として参加しています。

高遠氏は、観測装置開発において、背景となる物理についての極めて深い理解をもち、かつ多方面にわたる高いエンジニアリング能力とバランス感覚をもつ稀有の人でした。天文学においても、太陽系内の小惑星の起源に強い関心をもってすばる望遠鏡を使った観測研究を進めてきました。

高遠氏は、2012年に准教授に昇任、2019年からはすばる望遠鏡の国際プロジェクトである超広視野多天体分光器 PFS (Prime Focus Spectrograph) 計画の国立天文台側の責任者を務め、2020年には教授に昇任しました。今回、台湾での PFS 関連の試験に出張されている中、急に体調を崩し、緊急手術の甲斐なく亡くなったとのことです。

心よりご冥福をお祈り致します。
(原文:家正則・高見英樹)

追悼:高遠徳尚ハワイ観測所教授 図2

1990年1月、ラパルマ山頂にて、家正則氏(左)と高遠氏(右)(クレジット:家正則)

追悼:高遠徳尚ハワイ観測所教授 図3

2011年1月、南極、ドームふじにて。高遠氏(前列左)と沖田博文氏(前列右)(クレジット:沖田博文)

追悼:高遠徳尚ハワイ観測所教授 図4

2015年12月、マルセイユのPFS協力会議で、J. GunnとF. Madecに説明する高遠氏(クレジット:田村直之)

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