観測成果

超新星残骸ティコの起源を解明 ~ ティコ・ブラーエが16世紀に観ていた超新星の謎を、今すばるが解読 ~

2008年12月3日

【概要】
 国立天文台ハワイ観測所、東京大学数物連携宇宙研究機構(IPMU)、マックスプランク天文学研究所(MPIA)の研究者で構成される研究チーム(注1)は、すばる望遠鏡の微光天体分光撮像装置(FOCAS)を用いて、超新星残骸ティコの周囲で発見された可視光の「こだま」を分光観測することにより、この光が1572年にデンマークの天文学者ティコ・ブラーエによって肉眼で観測された超新星の爆発当時の光そのものであり、この超新星爆発が標準的なIa型であったことを証明しました。

 Ia型の超新星は、ダークエネルギーの存在を明らかにした観測的宇宙論における重要なツールであると共に、我々の周りに存在する重元素の主要な製造源のひとつでもあります。今後さらに、超新星残骸の周囲で観られる光の「こだま」を分光観測することにより、Ia型超新星爆発のメカニズムを、空間三次元的に調べることが可能になります。

【解説】
 ティコ・ブラーエは16世紀のデンマークの天文学者です。彼は優れた視力の持ち主で、太陽や月、惑星の動きの詳細な観測記録を残しています。この観測記録は、のちにティコの弟子であるヨハネス・ケプラーが見つける天文学の基本法則「ケプラーの法則」の元になりました。1572年11月11日の夕方、ティコはカシオペヤ座の方向に金星よりも明るく輝く星を見つけます。肉眼で見える星の位置をすべて覚えていたティコは、すぐにそれが新しい星であることに気づき、1574年の3月までこの星の明るさや色の変化を正確に記録しました。この「新しい星」が、現在「ティコの超新星」の名前で知られる超新星爆発であったと分かったのは、20世紀になってからのことでした。今世紀に入って、X線観測やハッブル宇宙望遠鏡による伴星候補の発見もあり、ティコの超新星は、超新星の中でもIa型と呼ばれる種類の爆発だったのではないかという推測されるようになりましたが、明確な証拠がありませんでした。

 Ia型超新星爆発は、連星系を構成する白色矮星が相手の星から降り積もったガスの重みで圧縮され、暴走的核融合反応を起こすことで発生します(注2)。Ia型の超新星には、最大光度時の絶対等級(爆発本来の明るさ)が、ほぼ一定であるという特徴があります。この特徴のため、Ia型の超新星は遠方の銀河までの距離を測定するための標準光源としてひろく用いられ、現代の観測的宇宙論を支える大切な道具となっています。しかし最近になって、標準光度よりも明るいまたは暗いIa型の超新星が発見され始めました。こうした。こうしたIa型の多様性を説明するためには、超新星爆発のメカニズムの詳細を詳しく理解する必要があります。

 われわれの銀河系以外の銀河で起こる超新星は、銀河の個数そのモノが多いため、これまでに数多く発見されています。ただし、銀河までの距離が遠いため、点状にしか見えません。一方、銀河系内では1604年に発見された「ケプラーの超新星」を最後に過去400年の間、新しい超新星は発見されていません。現代の最先端の観測機器をもって、超新星爆発を、その起こる過程で同時に研究することは、天文学者の長年の夢でした。

 今回の観測は、光の「こだま」と呼ばれる、光源の離れた場所にある塵によって反射された光の波が遅れて地球に到着する現象を利用しました(図2)。この研究チームは、以前の研究で超新星残骸カシオペヤAのもとになった超新星の正体が、赤色超巨星がIIb型と呼ばれる超新星爆発を起こしたものであることを明らかにしました(2007年10月の観測:http://www.naoj.org/Pressrelease/2008/05/29/j_index.html)。そこで、使われた手法が、今回も用いられています。

 光の「こだま」の観測は、まずその候補を見つけるところから始まります。2008年の夏、研究チームは、マックスプランク研究所が持つスペインCalar Alto 2.2mおよび3.5m望遠鏡を使って、過去に光の「こだま」報告があった領域を中心にモニタリング観測を開始しました。2008年8月23日に撮像された画像には、可視光で23.6等級の淡く広がった光が移っていました。この光は、翌週の9月2日の撮像観測でも確認されました(図1a)。

 3週間後の2008年9月24日、研究チームはすばる望遠鏡とFOCASを使って「こだま」候補を再度撮像観測(図1b)し、23.5等級であることを確認した後、ただちに分光観測を開始しました。4時間の露出時間の末に得られた分光スペクトルには、電離したケイ素(Si)の強い吸収線が見られる一方、水素原子の吸収線が欠落していました。これはIa型超新星に特徴的なスペクトルです(図3)。この淡い光が、超新星起源であること、1572年にデンマークの天文学者ティコ・ブラーエの眼で観測された超新星の爆発当時の光そのものであることが確認されました。さらに過去に起こった銀河系外で起こった超新星の分光スペクトルと詳細に比較した結果、ティコの超新星はIa型の中でも標準的な光度を示す超新星爆発であったことが証明されました(図3)。

 これまでの観測から推測されている超新星残骸ティコの距離は、7,000から16,000光年と大きな不定性があります。今回、ティコの超新星がIa型と分かったことで、正確な距離測定が可能になりました。Ia型超新星の青色(Bバンド)光度の時間変化から、爆発時の最大等級が推定できます。これに他の観測から得られている星間塵による減光量を加算し、さらにティコ・ブラーエ自身の測定結果(可視光で-4から-4.5等級)を併せることにより、超新星残骸ティコまでの距離を約12,000光年と見積もることができます。この結果は、この超新星残骸からガンマ線が検出されないことと矛盾なく、またハッブル宇宙望遠鏡によって見つかった超新星になった星の伴星候補までの距離ともよく一致します。

 今回の観測で、超新星残骸の光の「こだま」を分光観測するという研究手法が確立されました。「こだま」を使った観測には、さらにもう一つ決定的な利点があります。それは、異なる方角にある複数の「こだま」を観測することで、超新星爆発を空間三次元的に違った角度から眺めることができるという点です。銀河系外の超新星の観測では検証できなかった爆発時の空間構造、そして超新星爆発のメカニズムの理解が今後さらに進むことが期待されます。

 この研究論文は英国のネイチャー誌に掲載が予定されています。

Tycho Brahe’s 1572 supernova as a standard type Ia as revealed by its light echo spectrum
O. Krause, M. Tanaka, T. Usuda, T. Hattori, M. Goto, S. M. Birkmann, and K. Nomoto


注1: 研究チームの構成
O. Krause(マックスプランク天文学研究所)、田中雅臣(東京大学・数物連携宇宙研究機構、日本学術振興会特別研究員)、臼田知史(国立天文台ハワイ観測所)、服部尭(国立天文台ハワイ観測所)、後藤美和(マックスプランク天文学研究所)、S. M. Birkmann(マックスプランク天文学研究所、欧州宇宙科学機関)、野本憲一(東京大学・数物連携宇宙研究機構)

注2: Ia型以外の超新星(II型、Ib型、Ic型など)は、質量の大きな星が進化の最後に起こす爆発です。


図1: (a) Calar Alto 2.2m望遠鏡で撮像観測された、可視光Rバンド画像(黒い方が明るいことを示す)。図中に見える淡い光が、ティコからの可視光の光の「こだま」。四角で示した位置に2006年には光の「こだま」が見られた。図中右下の矢印は約3.15度離れた位置に存在する超新星残骸ティコの方向を示します。(b) すばる望遠鏡とFOCASで撮像観測された、可視光Rバンド画像。赤色の十字印の位置で、すばる望遠鏡の分光観測がおこなわれました。


図2: 超新星ティコからの光の模式図。超新星爆発で放射された光が、西暦1572年に地球に到着しました(水色の矢印)。超新星の周囲にある塵によって反射された光が現在地球に到着しました(黄色の矢印)。2008年の8月23日から9月24日にかけて、淡い光の位置が見かけ上移動していることから、可視光の「こだま」であることが判明しました。


図3: すばる望遠鏡とFOCASで分光観測された、可視光の「こだま」のスペクトル(横軸は波長、縦軸は光の強さ)。黒い実線が超新星ティコのスペクトル。他の3種類のIa型超新星のスペクトル(上段から、明るいもの[青]、標準的なもの[橙]、暗いもの[赤]) と比較すると、中段のスペクトルが最も良く一致していることから、ティコは標準的なIa型超新星であったことが判明しました。


参考図: 超新星残骸ティコのカラー合成図。チャンドラX線天文台によるX線画像:青は高エネルギー (5keV)、緑は中間エネルギー (1.6~2.3keV)、黄色は低エネルギー (1keV) のX線の分布。赤はスピッツァー宇宙望遠鏡による中間赤外線の画像。 これに Calar Alto 3.5m望遠鏡で観測された近赤外線による星の画像を 重ねて表示。直径の大きさは約25光年。

 

 

 

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